今後の方向性は、以前にも書いたこととオーバーラップする部分もありますが、
①芳賀家側:芳賀家が戦国時代、嫡子以外は近隣領主の養子、女性は嫁入りして姻戚関係を結んでいるのが、系図からよく分かりました。それを地図上にマークするとともに、各領主についての調査!! そして、養子に行っていない人物が三名いたけれども、行った土地はどこ?!
②影山家側:祖父実家の先祖は戦国時代に三春に居住していて、百官名も判明しています。領主様は、天正時代にやってきましたが、先祖はすでに居住していたのか、それとも一緒にその地にやってきたのか、領主様の行動を調査することにより、どこからやってきたかもわかるのでは?!
※ 郷土史記述『公田支配・中世国家の編成原理・奥州下向の北畠氏の公田支配・奥州の二三男家の武士・公田の増加・関東の惣領を通じてのみ、政治的立場を表現できたのが、国府の公田支配に応じることにより直接表現できた=>北畠氏のもとに結集、二度の上洛』の太字がキーワードのような気がします。
奥州下向した北畠氏に従い、公田支配することにより、武士の二三男は、新たな土地を支配し、本家から独立できた!! と解釈。
①②で交わらないだろうか?! 芳賀家で、養子に行かなかった人物が、新たな公田支配し、本家から独立した先が三春町 となってくれればいいな。しかし、北畠氏のことは、1300年代なので、時代が違うかもしれません。
③影山家先祖の百官名が判明しています。今、百官名について知ろうと、官位・位階関係の本を二冊読んでいます。また官位を売買する商人も存在していて、その論文も入手したので、これから読みます。
影山家の本名、通名さえ分かれば、芳賀家側で同じ百官名がいて本名・通名が分かっているので、一発なのですが、それが分からない・・・・・
②がやりやすそうですが、資料の入手という点を考えると①ですね~!!
そこは、ボチボチ考えることにします。