このところ、不浄について考えていました。死をケガレとするのは、物理的にだろう!!という結論に至りました。
ところで、
以前読んだ、掃除の本で、こういう記述がありました。
『伊邪那岐命』という神さまが、死者の住む黄泉の国から帰ってきたとき、『穢き国に至りてありけり』(汚い国に行ってしまった)となげくシーンが『古事記』にあります。と。
そういえば以前、
大塚ひかりさんが書く源氏物語ネタの本が好きで、読んでいました。それで、神話ネタの本を読もうとしたら、まるきり分からないので、神話の基礎を!と思い、ちょっとかじって投げ出していました。
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これで神の関係性を見ていました。(このへんも、自分の先祖調べにつながったのかも)
思い出しました、イザナギノミコトはイザナミノミコトの変わり果てた姿を見て、それこそ肉体への執着を断ち切ったサマを!!(小野小町の九相図も、肉体への執着を断ち切るのに、強力な効果があるわけです!!)
神道で、死をケガレとするのは、ここに原点があるのだな!と思いました。