昨日ご紹介した本は江戸時代の学校の種類について!ですが、今日は授業方式に焦点を当てた本です。『江戸の教育』という本を読んだことを師匠にお伝えしたところ、『エエ本があるんや!』ということでご紹介いただきました。(文庫化したのは、2018年9月です!)
ネットで検索したところ、どうもこの本は、当時一般受けして広く読まれたようです。
読み進めていくうちに、『なんや、師匠の著書が引用されているやないか!』というわけでした。師匠は関西人なので、言葉が移る!!
江戸時代の学問といえば、儒学です。その授業方式については、年齢を重ねていくいつれ、素読=>講釈=>会読とバージョンアップしていきます。会読は年齢でいえば、もう成人に近いレベルです。
素読は、近年では斎藤孝さんが提唱し子ども番組でも盛んにやっていましたね。とにかく文章暗記、意味は問わない、いつか分かる日がくるでしょう!的な。 門前の小僧習わぬ経を読む 的でありましょうか!!
講釈は、教師が一方的に解釈を述べる!という今も変わらない一斉授業形式でしょうかね!!
会読は、大学のゼミと同じだと思いますね!!学生が意見を戦わせる!という。
この会読方式は、まあ、藩校でも取り入れられ、江戸時代末には各地の優秀藩士が、昌平坂学問所に遊学してきて、また各藩に戻り指導者になる!というようなこともあったようです。
しかし、そうは言っても、江戸時代は士農工商、武士間でも厳然とした階級固定なので、藩校でも属性重視!! 属性と実績の軋轢があり、それを回避するために、武士のランクごとに授業を設定して、そこで会読を行うといった藩校もあったようです。会読は実力が分かってしまうわけですから、下級武士が上級武士の上に立ってはいけないわけです。
時代が変わっても、公立学校ではデューイの問題解決型学習にはならず、ずっと知識注入型の一斉授業なのは、授業のやり方が、問題解決型は難しいからなのか?というふうに思っていました。でも、この本を読んで、個々人の学力・能力を表に出さないようにするためかな!と思いました。学級会、生徒会というのは、学力と関係ない政治力のみを表に出す!という。それは、やはり属性重視になっていますね。親の階層、職業って、分かっているものなので。
そういったわけで、会読は私塾で大きな役割を果たし、実力者が出てきて、明治という新時代のリーダーが生み出されたわけです。学問分野も、儒学から、国学、そして蘭学へと拡大していきます!!
福沢諭吉のことを、この本でちらっと触れていたとは思いますが、江戸の御殿医桂川家の塾に通って、蘭学=>時代はアメリカ!ということで留学しました。
下級武士という属性を持ちつつ、実績があるものは一発逆転のチャンスが江戸末期にはあったわけです。
そうやって、会読は江戸時代末から、新時代の実力者を出していったのですが、明治の富国強兵で軍国主義の時代になり、会読のように身分関係なく自由にディスカッションするということもなくなったということで、残念なことです。
以前ご紹介した、学歴貴族(非武士階級の実力者も含む)の前に時代を牽引していったのが、会読により頭角を現した下級武士階級の実力者ということになるのでしょう。
次回は、福沢諭吉が出てくる、桂川みねの『名残の夢』をネタに書いた本をご紹介します!!