民俗学や文化人類学の本を読むと、よく
黒不浄(死)、赤不浄(出産・月経)などが出てきます。
我が家では、父が葬式から帰ると、家に入る前に、塩を身体にまいて、うがいをする浄めの儀式がありました。
連続したものなのに、死んだ途端にケガレ扱いとは、ヒドイことだ!と子どもながらに思ったものです。
結婚してから、ダンナは葬式から帰ってきてもそういうことしないな!と思っていたら、仏教ではそういうことしないようです。(ダンナの両親は、両方とも実家がお寺です!!)
臨死とか死んだ後のことなど、語るのはタブーでしたよね?!
ところで、
母方祖父実家の菩提寺が、福島県三春町の福聚寺というお寺です。
以前、本家とお寺の過去帳をマッチングしていただきました。
ご住職は、芥川賞作家の玄侑宗久さんです。
玄侑宗久さんの、死んだらどうなるの(2005年、ちくまプリマー新書)やがて死ぬけしき(2016年、サンガ新書)といった死を扱った作品があります。
玄侑さん、死を扱うのは世間への挑戦だったようです。(やはり、タブーだったようですね。)
そんな中、ヨシタケシンスケさんの、このあとどうしちゃおう(2016年、ブロンズ新社)は、さらに驚きでした。玄侑さんのちくまプリマー新書は、中高生向けだと思いますが、ヨシタケさんの絵本は幼児向けです!! 幼児まで、死後の世界を言っちゃうか!!と。
玄侑さんへのお手紙に、長々と書かせていただきましたが、
今ここ!(禅・マインドフルネスのスローガン)を生きながら、過去のいいことも悪いことも受け入れて、近未来を(肯定的に)考えるといった一貫した垂直方向の時間軸に、さらにその先の臨死や死後の世界まで考えることを追加しようと思います!!と。
さらに、水平方向(もっと、複雑に宝石の光が反射しあって広がりをもったイメージ?)のインダラ網についても考えを述べておきました(プロに向かって、ド素人が偉そうに(爆))