先祖調べ2年生!(2018年8月~)祖父の影山姓を全力調査中!影山さんの情報求む! 影山氏に共通の話題を発信していきたいと思います。 全国の影山さん!是非情報をお寄せいただけたらと思います。
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今日も宗門人別改帳について書きます。
【母方祖母の母の実家】
今回は、郷土史に載っている宗門人別改帳で、安政5年(1858年)のデータだったので、明治19年式戸籍の筆頭者に、妹や母がいたこと、結婚して妻がいたけれども子どもはまだいなかったこと、前戸主の父はもうその時には亡くなっていたことなどが分かりました。
菩提寺が判明したのが一番の収穫でした。
【母方祖父の実家】
母方祖父実家は今も続いており、現当主の方から2019年5月に仏壇の過去帳から江戸時代の先祖を調べていただき、さらに菩提寺の過去帳とマッチングしていただきました。
2019年9月に、戦国時代の領主様子孫より、歴史民俗資料館で30年前に作成した資料のコピーをいただきました。(あとで歴史民俗資料館に問い合わせたら、その資料の存在を把握していませんでした!!)
そこには、弘化三年(1844年)の人別帳が載っていました。
それが、戸籍に載っていない人物だったので、すごい情報となりました。
というのは、江戸時代の先祖は、没年順に当主と想像していましたが、順番が入れ替わりました。じいさん長命(83歳没)、父親短命(人別帳には記載なし)、そして息子は29歳で亡くなったということも、人別改帳のデータと過去帳の没年から分かりました。
【宗門人別改帳について 分かったこと】
・題名が色々だと、分かりました。
そうしたら、そういったことを研究したものがありました。
↓
支配形態と宗門改帳題名
・江戸時代は、子どもの数が少なくて(1~3人、2人が多いです!)、家族の人数が少ないというのがビックリでした。
自分の昭和一桁生まれの父母の兄弟数の多さ(5~6人)や、明治19年式からの戸籍をとっても、兄弟数は多いので、江戸時代もそういうものだろう!と思っていました。
明治になって富国強兵で、国家的に『産めよ増やせよ』になったんでしょうかね!!
・いくつか違った年代の宗門人別改帳が見られたら、さらに情報が得られていいですね!!
【今後】
・母方祖母の母実家の菩提寺へのアプローチ
今、父方祖父の方もやっていて、あっちこっちで、みんな中途半端になりそうです!!
母方祖母の父の方もやるつもりですが、こちらに着手すると、もうひっちゃかめっちゃかなので、これはしばらく凍結!!
今回偶然、母方祖母の母実家の次の一手が見えたので、ここは行動すべきか!というところです。
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